デヴィ夫人の名で『イッテQ』などに出演するデヴィ・スカルノは、日本生まれだがインドネシア国籍を持つ。
生まれは霞町で日本名を根本七保子と言う。身長は159cm。
株式会社の『デヴィーナ・ソサエティ』の代表取締役でもある。
現在も美しいが、若い頃は実に聡明で気品のある美女であった。ハーフのようなハッキリした顔立ちにボリュームのある黒髪。真珠のイヤリングが似合うところも素敵。
娘のカリナもパリコレのモデルのように美しい顔立ちをしている。身長も高く、スレンダー。
父親は大工で、八曾男という弟がいた。家は常に借金があり、貧しい暮らしであった。
驚くことに、デヴィ夫人は15歳で『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』に出演している。きっと美貌を活かし、女優になりたかったのだろう。
東京都立三田高等学校の定時制部で学びながら、千代田生命保険に150倍もの難関を突破して入社した。家計が貧しいからとアルバイトもしたという努力家なのだ。
父親がこの時期に亡くなったので、金のかかる高校を中退する。そして、効率よく稼ぐ為に、『コパカバーナ』という高級クラブで働き始めた。
19歳のときに東日貿易の秘書として、インドネシアの開発援助をする為に、スカルノ大統領へと送り込まれて二人は出会うのだが、なんとも映画のような人生だ。
スカルノ大統領はデヴィ夫人を第3夫人として受け入れ、幸せな生活を送っていた矢先、しつこいマスコミが押し寄せたことで母親は疲労がたまり、亡くなってしまう。
その2日後、悪いセールスマンに全財産をとられ、弟は自宅で自殺をしてしまう。
1965年に軍事クーデターが起こり、9月30日にスカルノが失脚。デヴィ夫人はその2年後にカリナという娘を産む。
スカルノが死去後には、デヴィ夫人はスペイン人だの、フランス貴族と恋愛をしては破局した。
スカルノが死去した時には、第3夫人としてそれなりの遺産を受け取ったようだが、それを元に、株や資産運用で増やしていったようだ。
それにしても、パリやニューヨークにも家があるとは驚く。日本の家も相当ゴージャスな家具が並ぶが、維持する金はテレビに出ては稼ぎ出しているのだろう。
また、化粧品やアクセサリーを手掛けて通信販売をしては、稼いでいるようだ。彼女の売るアクセサリーは、どこか可憐な美しさがある。
デヴィ・スカルノ 出身地 現在の東京都港区西麻布 1940年2月6日生まれ 血液型A型